葬儀、出棺も自宅から
ブログはやっと葬儀、出棺のところにきましたが、今月下旬には、夫さまが逝ってから3か月になります。
ところどころを生々しく覚えていて、わたしの頭の中で夫さまの表情がアップになります。
子どもたち
亡くなった当日の午前中、葬儀担当の方と対応していて、字を書こうとしたら、指にうまく力を入れられず、書けないのです。諦めて娘にお願いしました。
人ってこんなふうになるんですね。
そのあとすぐ、たくさんの知人が、続々と顔を見に来てくれました。
わたしはひたすらしゃべり続け、ときどき娘が「お母さん落ち着いて」と声をかけてくれたような。
子どもたちは玄関で出迎えと見送り、茶碗洗いまで、わたしは何もお願いしていないのに、全部気をまわして動いてくれていました。
わたし、どんな感じだったのか。自分ではわからないですが、子どもたちの気づかい、心遣いははっきり覚えています。夫さまに見せてあげたかった。子どもたちの様子を。
葬儀
コロナ禍ということと、夫さまの希望もあり、会場を借りての葬儀はしませんでした。
でも、当日の夜、送る会として、家族それぞれが夫さまへの思いを順番に話し、教会の管理者の方をお招きしお話をしていただきました。
もともとのブログ「5人これから」に書きましたが、我が家の子どもたちは、集団生活が合わず、不登校になり、山村留学を機会に人間らしくなり(笑)今にいたります。
大人になったとはいえ、人前で話すのは何よりも嫌なはず。それも、直前の打診ですから、断られるかと思いましたが、迷わずOKをしてくれました。自然に順番に、それぞれが夫さまの死に向き合い、今までのこと、感じていることを話してくれました。
二人で子どもたちを育てたのですよね。夫さまの不器用な愛情はしっかり伝わっていて、温かい気持ちでいっぱいになりました。
翌日の朝、自宅から出棺。身体がある最後の日、一晩中起きているものなのでしょうが、私、ベッドの隣に布団を敷いて寝ました。
酸素の機械音はもうしません。何が現実かわからないような、電気消したのかな? 覚えていないです。
でも、ずっとずっと、意識亡くなってから続いている平安がこのときもありました。すぐ近くにいる感じがしていました。
寝ているわたしを、笑って、「やっぱりね」とみていたかな?
出棺
火葬場も親類だけ。
でも、出棺のとき、お別れに来てくださった方々がいて、ほんとうにありがたくて。
片付け
子どもたちが休みをとり、一週間いてくれました。今しかできないからと、出棺の翌日から一気に片付けをはじめました。
本当に、普通しないようなことばかりしていますよね。夫の身内がだれもいないので、もう好き放題できます。
夫さまの服、車庫の中のものなどなど、子どもたちが、何度もリサイクルに出しにいき、処分し、残りも分類し捨てやすくまとめてくれました。
皆がそろっているうちにと形見分けもしました。
具合が悪くなってから買った出張用のカバン。まだまだ生きていくことを信じる証みたいに、お互い口にはださなかったけれど、ずっと生活が続くと思いたくて、珍しくよいものを二人で選びました。
結局、1度しか使えませんでした。あとで、似たようなものを見つけ、失敗したと思っていたけれど、子どもたちに残すことができて良かった。
教訓
子どもたちの捨てっぷりを見て、わたしの物も、いずれ容赦なく捨てられるという実感がでてきました。見切りをつけてどんどん処分していこうかと。
でもね、亡くなってすぐに処分して以来、残しておいた夫さまのも私のも、ほとんど何も整理していないのです。そのまま移動せず、空いたスペースには無造作にその辺の物を入れています。
少しずつ手続きが終わってきているから、仕事もたいへんなところがひと段落ついてきたから、なんとか年内に手をつけれるかな。今一つ気持ちが乗らないです。
夫さまの写真周りだけは、ちょこちょこ変わっています。
お悔やみにと、お花を送ってくださる方が続いていましたが、最後のが枯れ、この前お花を買ってきました。
小さいお花になったので、微妙の写真の位置を変えたりと…生花いつまで続くかな。