進行・とーまれ!

夫さまは5年生存率30%の「特発性間質性肺炎」。病気とのお付き合いを記録します。

思い出しながら少しずつ⑥(在宅看取りを決める)

亡くなる前日の朝、日曜日でした。

まだ、全然亡くなるなんて思っていなくて、今、ちょっと崩れているけど落ち着けば…でもこれだと家に夫さまを残して仕事に行けないかな…そんな感じに思っていました。

酸素測ると98

また、やってしまいました。朝、ふと起きて数値を確認すると98です。こうなると、二酸化炭素がたまるようで、酸素量下げたあと下がりすぎて苦しくなるので目を離せません。夜中にトイレに行くと夫さま下げるの忘れてそのままになるんです。

わたしはすぐに酸素量を下げてから、トイレでのんびりスマホゲームをしていました。ここのところ狂ったように単純なスマホゲームをしていました。でもこのときは、なんかまずい気がして、途中で切り上げ様子を見に戻りました。

えっ? 目を疑いました50台なんです。80台でも苦しいのに。なんでこんなに下がっているの? なんで叫ばないの? と思いながら呼吸補助をしました。いつもすぐ90くらいに戻ってくるのですが、変化がありません。

あれ、どうなっているの?と思いながら早く戻ってと肺に手をあて補助を続け、どのくらいしたのでしょう。これ、もうまずい、どうしよう、なんで戻らない? 夫さま頑張って! 

5分? 10分? そこまでかかっていないと思うけれどよくわからないです。こういうとき、心拍は130位になるのですが、このとき90程度、絶対へんって思って、酸素がまわらなくて夫さまが話が通じなくなっていたらどうしようとか考えていて。

あまりに想定外で。

もしかしてチューブ抜けてるかと、たどって確認してけど抜けていない。

また呼吸補助をして、ふと目がとまりました。顔からはずれていたのです。

どうして気づかなかったの? こんなにしっかりはずれているのに気づかないなんて。ほんとに慌てていました。耳にかけるとき、鼻にあてるとき手が震えていました。

後で考えるともしかして

きのうから自力でトイレに行けなくなりました。ということは、夜中にトイレに行けなかったはずです。下げ忘れたのではなかったのですよね。いったいいつから98だったのか。こんな状態なら寝ないで様子をみていないといけないのに。知らないって恐ろしいです。

ここ数日、酸素値がなかなかちょうどよくならなくて。調整の量は、~1ℓ、1.25ℓ、1.5ℓ、2ℓ なんです。1.75ℓがあるとちょうどよいのですが。帯に短したすきに長しって言葉ありました? そんな感じで0.5の違いで88位と98位になってしまうのです。90ないと苦しいし、98じゃ多すぎる。

呼吸が不安定になってきていたのですね。そして、苦しいはずなのに苦しがらないことが多くなっていたのは意識が遠のいていたということ。

さらにもう一つ、はずれるはずがないんです。特に顔から。無意識かもしれないけれど、自分ではずしたのかな。ずっとカニューレつけて邪魔だったのかな。

話ができました

酸素値が戻ったあと、何回も声をかけました。話できなかったらどうしよう。わたしのせいで、皆と話せなくなったらどうしようって。

声をかけると話ができてほっとしました。

何かしてほしいことある? ときいたら訴えるような目で、辛そうな目で、悲しそうな目で「死なせて」。

私があちらの世にいくのを邪魔しているのだろうか。そんなこと…私に何ができるのか…。

えー? って言うのが精いっぱいで言葉にならず、涙がじわじわ、顔はぐちゃぐちゃ。頭なでなでしてくれました。

今後についてきいてみました

「看護師さんから、モルヒネを使って楽に行くこともできるし、病院に行くこともできるから考えてみて」って言われていたよと伝えました。

どう思う? 「わからない」。

どんなことがわからない?「こわい」

そうかー、何もいえないです。でもこんな生々しい会話は初めてでした。

そのうち、何かもごもご言っています。何か皆に伝えたいことでもあるのかと、メモ帳と鉛筆を渡すと、すごい勢いで何か書くんです。なんだろうと思ったら判別不能な字で。注文とっていたみたい。仕事しているんです。夢と現実混ざっています。なんかあきれて、なぁんだ何かを言いたいってわけではないのか、って笑っちゃいました。

トイレ成功

きのう、息子に車いす押すの手伝ってもらったとき、トイレへの道で邪魔になるドアのチョウツガイを外せと指示していました。乗っていてその発想はさすが夫さま。

朝、トイレに行きたい気がするけど出ないかもというので、でなくていいから行ってみよう!と声をかけると「そうだね」って。ドアをはずしたおかげでスムーズに行け、排便もうまくいきました。私、安心したのです。あーだいじょうぶって。

氷を食べると言ったので、持っていくと続けて3個くらい勢いよくガリガリと元気に噛みました。夫さま夢の中で噛んでいるような般若に近いヤケみたいな感じで、いつもの表情ではありませんでした。でも良かった! 元気が出てきたって!

昨夜のリベンジ

きのう帰ってきた次男と話したのを憶えているかきくと憶えていないといいます。息子の悲しそうな顔が目に浮かび、今のうちにもう一度、子どもたちと話ができるようにと呼びました。一人ずつ夫さまに声をかけると、目をパチパチさせながら一人ずつ声をかけた人の名前を言いました。まともに話をしたのはこれが最後です。

訪看に電話のつもりが医師に電話

f:id:goninnkorekara:20201025155616j:plain

Ylanite www.pexels.com/@nietjuhによるPixabayからの画像

明日、さすがにこの状態では仕事に行けないと思い、今後の相談のため、訪問看護のステーションに電話をしました。なかなか出ないと思ったら、間違って医師にかけていました。

ちょうどいいので、意識が遠のいていることなど気になることを伝えると、あと1週間ぐらいなのでみとりの場を決めるようにと言われびっくりです。

まだこの後、病院で生きると思っていて、ただコロナ禍で、入ったらしばらく会えなくなると思って入院を躊躇していました。夫さまも家にいたいと言っていて、でも私は最後までは無理と思っていました。

さっき出かけた息子を呼び戻し家族で話し合いました。1週間か一か月か分からないと思い、今晩皆で看て明日か明後日病院に連れていくことにし、何をどう判断するといいのか、病院にどうやって連れていくのか今度こそ看護師に電話しました。そのときのやりとりで血圧を聞かれそういえばそんな道具があったと測ってびっくり。63でした。

看護師は、60が病院に連れていくひとつの目安にしていると言っていて、またびっくり。点滴をすることもできるのですぐに行けると。いろいろ相談に乗ってくれ話し合い、もう一度医師に相談してから連絡することになりました。

本当に心強かったです。すぐ医師に電話すると見に行くかい? って気軽に言ってくれます。

自宅での看取りを決める

何度もほんとにありがたい。嫌そうにしないでいつも優しくこちらの願いをかなえてくれます。

顔を見るなり医師に告げられたのは、呼吸の様子からあと数時間と。いきなりの言葉に涙が流れないであふれます。点滴をすることもできるけど延命になると。夫さまは延命はしたくないと言っていました。

血圧は手首では測れなくなってきていて、場所を変えて測るうち、若くて元気あるから一両日かなとじわじわ延びましたが。

今から病院連れて行っても途中の車で何かあるかもしれないし、行ってから検査してばたばたして。このままここで看たほうがいいのではないかと。

意識はないから苦しくはないと思う。モルヒネを使う必要はないって。

どうやって亡くなるのかをきくと、ゆっくり呼吸が止まっていく。自然なことと教えてもらい、このときに家で看とることを決めました。