進行・とーまれ!

夫さまは5年生存率30%の「特発性間質性肺炎」。病気とのお付き合いを記録します。

思いだしながら少しずつ③

二日連続の更新なんて初めて(笑) 

亡くなる3日前、トイレに間に合わなかったと娘からライン連絡。

こういうことをブログに書くのはどうなのか。でも、人が生きるってそういうことだから、症状として書いていきます。

 

夫さまショック受ける

私は仕事で不在でした。尿の始末を娘にしてもらったことも辛かったようです。

このショックが相当大きかったようで、この日の夜、すっかり気落ちしていました。

尿意がなかったのか、間に合わなかったのかときくと、それが微妙なんだ、よく覚えていないような気がすると。

ここのところ、言うことがときどき変わることがありました。リハビリに来てくれる作業療法士には尿意はあったと言っていました。つい見栄はったとか?

もともと言った言わないでもめることがありました。わたしに説明してくれたことについて何か尋ねると「もういい」とか、怒りだすこともあったので、このときも「また?」と思ったのですが、なんかちょっと違うみたいで。前よりとげがない。

ショックを受けているので、何度もきけないですし、娘が近くにいなくて、呼んでも間に合わなかったとかあるかもしれません。

8月に入ってからは、朝から力がなく、とてもわたしが出かけられる様子ではないことがじわじわ出てきていました。娘を起こして、お願いし、あとはなんとかなるだろうと。娘は不安を感じていたらしいですが、時間がたつと落ち着くようでした。

休みを何度もきく

わたしは、週3の仕事。休みのほうが多いわけで、お盆休みとか気にしていなかったのですが、夫さまが何回もきくんです。お盆休みいつ? 

夜は、夫のベッドの足元に布団を敷いていました。彼からは見えないです。あるとき、大声で「いる?」ってきかれてびっくり。

あまり気にしていなかったけれど、きっとすっごく不安だったんですよね。心細かったんですよね。私、なんという鈍さでしょう。こんなに調子が悪くなっていても、夜、わたしを起こさずに杖使ってトイレに行くんです。わたしは目が覚めず。なんのために近くで寝ていたのか。ごめんなさい。ごめんなさい。

カテーテルをすると

入院は両手で足りないぐらいしているので、いろいろ詳しい人です。

亡くなる3日前の朝、歩くことが急に難しくなりトイレに行くのに車椅子を使いました。尿意はとりあえずあるようなのですが、トイレに行ってもそこで出すことができないと。

カテーテルをするといいます。おむつを使うこともできるよ。ポータブルトイレを補助で購入することになっているよ。酸素の管に、もう一つ管をつけていいの? 便はどうするの? 

でもカテーテルときっぱり言うので、とにかく言う通りにしようと思い医師に相談しました。「いいですよ」と。このときは、家に予備として置いてあった尿パットをつけていました。

f:id:goninnkorekara:20200928232325j:plain

居宅介護

この日は、午後から身体障害者の居宅介護を使う手続きをするため、相談支援事業所の方が来ることになっていました。介護保険を使えなくても、こういう制度が使えるってやっとわかったのです。なんとかやっていけると明るい希望がでてきました。

このあとたいへん

午前11時ごろから、便が出始めました。最初はトイレ。それが、いつまでも続いて、夜中まで。予備のパットはほとんどなくなりました。もう二人でくたくた。どんなときでも食べる私が昼夜抜きました。もう必死。同時にいい加減にしてよって気持ちで不機嫌だったよう。「怒っているの?」ときかれ、「疲れているの」と仏頂面。ほんとに私は大人げない。こんなにすぐに亡くなるって分かっていたらもっと優しくできたのに。

「ありがとう」の言葉

亡くなったあとで考えました。夫さま、こんなお世話でよかったのかって。思い出しのは、何回も何回もありがとう、ありがとうって言ってくれた言葉。言われたときは何にも感じなかったんです。でも、あとで、これでよかったのかと思ったとき、その言葉に救われました。

娘も言っていました。何度も何度も「ありがとう」って言われたって。もっとできたのにって娘は後悔の気持ちがあったようです。でも「ありがとう」って言ってくれ、頭を何回もなでてくれたって。

もともと気の利いたことを言う人ではなかったけれど、言葉じゃなくていつも行動で示す人で。最後までそうでした。

あんなに憎たらしい人だったのに、ほんとにいいところばっかり思い出され、一つ一つの憎たらしさの意味、不器用さが前よりもっと分かってきて。