進行・とーまれ!

夫さまは5年生存率30%の「特発性間質性肺炎」。病気とのお付き合いを記録します。

思い出しながら少しずつ①

どこから書いていいのか

今思うと、確実に弱ってきていたのに

性格が悪いのか、身体の悪いのか区別がつけられなかったみたい(笑)

メモがあります

あまりに体調が悪くなってきて、心配になってちょこちょこって書きました。

8月1日のメモ

ゴールデンキーウィ、酸味強いと一切れだけ

すいか食べられない

重湯、ざるを通した粥の粒が気になるからイヤ

エンシュア1、クリミール125ml(200kcal)

8月2日のメモ

朝7h 37°6、10h 37°

エンシュア1、重湯(米粉大1)、すいか1切れ4㎝四方

昼 2ℓで88→2.5ℓで93→2ℓで91

一旦落ち着くと少し下げても維持

 

このころのブログはこちらです

http://7ottosama.hatenablog.com/entry/2020/08/04/083000

冷静に考えると性格ではなく身体が悪かった

6月に入院したとき、メールもラインもごくわずかでした。以前からずっと記録していた中医師に送る症状報告書も入院の少し前から一切書かなくなっていました。

昨年の11月に入院したときは、リハビリの方に文句言ったり、わたしの要望に応えて毎日食事の写真を貼って送信。病院が楽と言っていました。

今回は、面会がほとんどできないのでなおさら連絡がほしかったけれど、めんどうなのかと思っていて。本当に辛かったのでしょう。病院でも家でも本当に口数が減っていました。

身体も悪いけど、機嫌が悪いのねと思っていました。

あのころも身体の辛さは分かっていたつもりだったけれど、亡くなってみてその身体の辛さがどれほどかやっと分かってきています。

メモは日にちが飛んで、8月8日

夜中ずっと2.5だったみたいで記憶なし

AM6:30ごろ娘が気付き1.5

AM7:30ごろ85位で苦しく3.00

トイレ朝 車椅子

AM7:50オプソ(モルヒネ

歩けない

何があっても頑張って歩いていた夫さまが立てない、歩けないって言ったのはこのころが初めてのように思う。

息子がお盆をずらして下旬に帰省することになっていて

ふと、帰ってくるまでもつのだろうかと。

でも、そういう気持ちが浮かんでは否定するで、死が間近とまでは思っていなかったんです。

入院かなとか、そんな感じです。

あまりに調子が悪くなってくるので、在宅では無理なのでは?

仕事中に何かあったら急に呼び出しが来るかもと

職場に夫さまの病状を話したのもこのころです。

変に段取りいいですよね、わたし。

お見舞い

このころ、夫さまの職場の上司が会いにきてくれました。

呂律が回っていないのが気になり

いつもなら、もう少し呂律回るんですよね、最近話あまりしないからと憎まれ口言っていました。

親戚も会いに来てくれて。

皆さん遠くから来てくれて、コロナの中、短時間でお帰りになりました。

 

夫さまが、親戚の方に手を握られた。

何か感じたのかなと話してくれました。

皆何かを感じていたのだろうか。